蒲生氏郷の墓
マニア向け
★★★★☆
18-D7
歴史ファンなら行かずにおられない蒲生氏郷の供養墓
会津若松市栄町2-12
0242-22-2993/現地
無料
拝観自由
10分
北緯37°29′47″東経139°55′43″
会津を5年間しか治めなかった蒲生氏郷ですが、亡くなった翌年子息の秀行によって建塔された供養墓です。供養墓ですから遺骨は無く遺髪のみですが、一般的に供養墓は何も入っていない場合が多く、遺髪があるというのは珍しいことです。氏郷の墓は京都の大徳寺にあります。それでも、名城鶴ヶ城を建てた武将の供養墓ですから、訪れてみる価値は大いにあります。

三十三観音磨崖仏群
マニア向け
★★★★☆
9-D2
綺麗に整備された公園の崖下に37体の磨崖仏が建ち並ぶ。陰気臭くなくてイイ感じ
西白河郡矢吹町滝八幡
0248-42-2111/矢吹町役場
無料
特に規制なし
30分
北緯37°12′57″東経140°19′02″
三十三観音公園という、最近整備されたとても綺麗な憩いの公園があります。川に沿って遊歩道がありそこには37体の磨崖仏が建ち並んでいます。造立年代は、文化2年(1805年)刊の『白河風土記』という書物に記載があることから、それ以前であることは確かで、像容などから江戸時代中期以後(1750〜1800年)と考えられています。

丹羽長重公霊廟
マニア向け
★★★★☆
9-A5
徳川に翻弄された悲劇の大大名の墓所。マニア必見ポイント
白河市字円明寺
0248-22-1111/白河市役所
無料
拝観自由
20分
北緯37°07′21″東経140°12′58″
丹羽長重は、織田信長の家臣、丹羽長秀の嫡男。徳川の陰謀により123万石の大名から10万石にまで減封されるという憂き目を見る。しかし、現在の白河市の原形を作った人物で、父親に勝るとも劣らぬ名将だったのです。67歳で没し、この地に埋葬されていますが、丹羽家はわずか2代後に二本松へ移封。初代藩主であった長重のみが白河の地に眠っています。

小原庄助の墓(皇徳寺)
マニア向け
★★★★☆
9-A5
福島民謡「会津磐梯山」の後囃子に登場する庄助さんのお墓
白河市字大工町83
0248-24-1036/現地
無料
拝観自由
15分
北緯37°07′36″東経140°12′49″
福島民謡「会津磐梯山」の後囃子に ♪小原庄助さん、なんで身上つぶした。朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上つぶした・・・ハァもっともだァ〜もっともだァ〜♪ というのがあります。この唄に出てくる小原庄助さん、実在の人物がモデルになっています。会津塗師久五郎というのがその人物で、この人物の墓が白河市内の皇徳寺にあります。

中野竹子の墓
マニア向け
★★★☆☆
18-A6
戊辰戦争で婦人隊の隊長だった人物の墓
河沼郡会津坂下町字光明寺東甲3944 
0242-24-3000/会津坂下町観光協会
無料
拝観自由
10分
北緯37°33′41″東経139°49′31″
戊辰戦争でいよいよ会津藩不利となったとき、女子であっても敵に一矢報いようと立ち上がり結成された婦人隊がありました。その際、隊長となったのが中野竹子です。この婦人隊善戦むなしく敗退し、隊長の竹子は会津若松近くの黒川で討ち死にします。(戦死の地も別途紹介しています)遺体はこの法界寺に葬られ現在のような立派な墓が建てられています。

中野竹子殉死の地
マニア向け
★★★☆☆
18-D7
戊辰戦争で婦人隊の隊長だった人物戦死の地。立派な慰霊碑が建つ
会津若松市神指町大字黒川字薬師堂川原
0242-24-3000/会津若松観光物産協会
無料
特に規制なし
10分
北緯37°30′39″東経139°54′25″
ここには慰霊碑と竹子の像が建てられています。かなり立派で、いかに中野竹子が立派な婦人であったか、また歴史に名を刻むだけの人物であったのかを推し量ることができます。

西軍墓地
マニア向け
★★★☆☆
18-D7
戊辰戦争で亡くなった官軍兵士の墓地。マニア向けポイントでしょう
会津若松市大町2-1
0242-24-3000/会津若松観光物産協会
無料
拝観自由
10分
北緯37°30′07″東経139°55′40″
1868年の戊辰戦争で亡くなった西軍(官軍)の兵士174名が眠る墓所。昭和32年9月15日に慰霊祭が営まれ、西軍墓地として荒廃していた墓を改修のうえ保存しているものです。飯盛山といい、会津若松では戊辰戦争の爪跡を残す貴重な史跡のひとつです。が、しかし、観光ポイントとしてはかなりマニアックな所です。白虎隊の墓のような荘厳さはありません。

近藤勇の墓(天寧寺)
マニア向け
★★★☆☆
18-F7
新撰組隊長で有名な近藤勇の首塚(といわれています)
会津若松市東山町石山天寧208
0242-26-3906/現地
無料
拝観自由
30分
北緯37°29′25″東経139°57′11″
幕末史であまりに有名な新撰組の隊長であった近藤勇の墓。後の函館戦争に至る途中、副隊長であった土方歳三もこの墓を参詣したといわれています。映画やドラマで有名な人物の首塚ですから訪れてみる価値は高いでしょう。なお、研究家による調査では、首塚ではなく供養墓である可能性が高いという説が有力です。

広野駅
マニア向け
★★★☆☆
10-L2
文部省唱歌「汽車」の歌碑がある駅
双葉郡広野町大字下浅見川字築地58
0240-27-2211/現地
無料
特に規制なし
10分
北緯37°12′41″東経140°59′54″
♪い〜まは山中、いまは浜〜♪でおなじみの、文部省唱歌「汽車」の歌碑があります。この碑は駅のホーム内にあるため、駅員に断りを入れてからでないと見ることができません。「汽車の碑を見に来ました」と改札でいえば、無料でホームに入れます。なぜココに歌碑があるのかというと、いわき市久ノ浜から広野駅区間の景観を、大和田健樹氏が作詞したといわれているからです。

大隣寺
マニア向け
★★★☆☆
19-G5
戊辰戦争で逝った少年隊の墓所と二本松藩丹羽家墓所があります
二本松市成田町1-532
0243-22-1063/現地
無料
拝観自由
20分
北緯37°35′32″東経140°25′27″
大隣寺は二本松藩丹羽家の菩提寺。境内の最も奥には丹羽家の墓所があります。225年間続いた二本松藩ですが、やはり10万石どまりの大名。墓所は石高にしては立派な方でしょうか。また、戊辰戦争で会津の白虎隊と並び戦争悲話として語り継がれる、二本松少年隊14名の戦死者の墓もあります。

野口英世ゆかりの地
マニア向け
★★★☆☆
18-J6
猪苗代町内には英世ゆかりのポイントが沢山あります
耶麻郡猪苗代町
0242-62-2048/猪苗代観光協会
無料
特に規制なし
90
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猪苗代町は野口英世が生まれた町。そのため各所にゆかりのポイントがあります。ひとつひとつはあまり重たいポイントではないため、時間がある人は、ゆかりのポイント巡りという形で一周りしてみるのがよいでしょう。

土津神社と保科正之墓所
マニア向け
★★★☆☆
18-J5
徳川幕府ファンなら外せないポイントですが、さて一般観光客は・・・・
耶麻郡猪苗代町字見祢山3
0242-62-2160/現地
無料
拝観自由
20分
北緯37°34′11″東経140°06′02″
土津神社は、会津松平家の初代藩主保科正之公を祭神としている神社。造営時の土津神社は、東北の日光といわれるほど壮厳壮麗だったそうですが、明治の戊辰の役でことごとく焼失しています。現在見ることのできる社殿は1880年に再建されたものです。徳川幕府時代に傾倒が深い人向けのポイントといえます。

遠藤現夢の墓
マニア向け
★★★☆☆
18-I3
裏磐梯の植林事業を成し遂げた人物の墓。無名に近いが凄い人物だ
耶麻郡北塩原村大字桧原
0241-32-2349/観光協会
無料
拝観自由
30分
北緯37°39′10″東経140°04′25″
本名、遠藤十次郎。運送業など事業を営んでいたが、磐梯山噴火による裏磐梯のあまりの惨状に、明治40年から2年間をかけ、約10万本の植林を行った人物。現在目の当たりにする五色沼や檜原湖周辺の景観は、現夢の植林による人工林で、自然の姿ではありません。これを知る人はかなり少ないことでしょう。現夢の墓は妻と共に、五色沼探勝路から350mはずれた鬱蒼とした森の中に佇んでいます。

キリシタン塚
マニア向け
★★☆☆☆
18-D7
江戸時代キリシタン弾圧で処刑場となった場所だ
会津若松市神指町大字黒川
0242-24-3000/会津若松観光物産協会
無料
特に規制なし
10分
北緯37°30′27″東経139°54′34″
寛永12年(1635年)に幕府から発令されたキリスト教厳禁令に従い、当時の藩主加藤明成が、キリスト教徒と外人教徒を捕らえ処刑したという言い伝えがあり、現地調査の結果、犠牲者の人骨が出土しています。これに基づき昭和37年に供養塚が建てられています。これがこのキリシタン塚。

安達ヶ原「黒塚」
マニア向け
★★☆☆☆
19-H5
安達ヶ原の鬼婆伝説に登場する鬼婆の墓
二本松市安達ヶ原4-121
0243-22-0797/観世寺
無料
拝観自由
5分
北緯37°35′40″東経140°27′43″
古くから伝説がある安達ヶ原の鬼婆。東光坊なる行者に退治されるとココに葬られたものです。不思議なのは、墓は寺の境内の外(完全に観世寺の敷地外です)にあります。ところが住かであった岩屋は境内にあります。しかも拝観料が必要です。

堀部安兵衛生誕地
本当に行く?
★★☆☆☆
18-A6
赤穂浪士で有名な堀部安兵衛生誕碑と両親の墓がある
河沼郡会津坂下町字茶屋町甲3873
0242-24-3000/貴徳寺
無料
拝観自由
10分
北緯37°33′46″東経139°49′16″
忠臣蔵で有名な赤穂浪士47士の一人「堀部安兵衛」は、会津坂下で生まれています。町内の貴徳寺には生誕の地碑があり、両親の墓もあります。タダこれだけ。史料などもありません。赤穂浪士に傾倒している人向けのポイントでしょうか。

舘ヶ岡磨崖仏
マニア向け
★☆☆☆☆
14-C6
かな〜りマイナーな史跡。でも保存状態が良い磨崖仏です
須賀川市大字舘ヶ岡字向山
0248-75-1111/須賀川市役所
無料
拝観自由
10分
北緯37°19′27″東経140°17′47″
阿弥陀如来の仏像で高さ2.15mの座像磨崖仏。鎌倉時代後期の製作と見られるのですが、使用されている石の質が堅く、保存状況が良好です。特に詳しいことは判明しておらず、歴史学的に見ても観光ポイントに載るほど貴重かといえば、答えはノーという感じ。マニアというよりも、マイナーポイントしか行かないという、へそ曲がりな人向けのポイントでしょう。

将棋の墓(正覚寺)
本当に行く?
★★☆☆☆
19-G5
約200年前の人物で将棋の駒をした墓がある
二本松市永田1-70
0243-22-3482/現地
無料
拝観自由
10分
北緯37°35′28″東経140°24′31″
将棋の駒の形をした墓石があります。主は佐久間庄九郎という人物で、今から200年ほど前の二本松藩の経理担当者。将棋が三度の飯よりも好きというほどで、最後は将棋を指しながら眠るように往生したとさえいわれています。後に弟子の手により将棋の駒をした墓石、台石は将棋盤という、将棋の墓を建てたものです。