弁慶岬
P20/G2
寿都郡寿都町字政泊町弁慶
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立入自由
15分
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無料

北緯 42゚49'16"/東経 140゚11'31"

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国道229号線沿いなのですぐにわかります。

弁慶岬という名称に惹かれるのですが、弁慶の像が立つのみで何もありません。弁慶岬の由来は、弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日この岬の先端に立ち海尊の到着を待っていたが、海尊軍団の船影を見ることはできなかった。そんな姿の弁慶を見ていたアイヌたちは、この岬のことをいつしか弁慶岬と呼ぶようになったという。
その他の名前の由来としてはアイヌ語のベルケイ(裂けた土地の意)が訛ったという説があります。

というわけで、あまり弁慶そのものに深い関係はないようです。ツーリングでは休憩ポイントに使う程度で、あえて訪れる必要はないでしょう。


弁慶像の前にて
岬先端の風景

人物&歴史うぉっちんぐ
弁慶
????年〜1189年(????年〜文治5年)

「吾妻鏡」「平家物語」などに名前が出てくる鎌倉期の僧侶で、源義経に従い常に義経の傍らにあった。幼名を鬼若丸といい武術に優れた僧侶だった。義経と共に都落ちし、奥州平泉に至るが、藤原泰衡の攻撃を受け、矢を全身にあびて立ちながら死んだという。

弁慶といえば「弁慶の泣き所」が有名でしょう。弁慶は自分の強さを過信し、京の五条橋の上で、通りがかりの侍と勝負をしては刀を奪っていた。ある日、これまでどんなことをされても倒れなかった弁慶が、牛若丸(後の源義経)に向う脛を笛で叩かれ、思わず悲鳴を上げて勝負に負ける。このことから、向う脛のことを『弁慶の泣き所』と言うようになった。弁慶ほどの豪傑でも痛さに耐えられない所があるということから、弱点の代名詞にも使われるわけです。

そういう意味において、実在の人物像よりも伝説的な人物として広くその名が知られています。