高田屋嘉兵衛資料館
P09/F3
函館市末広町13-22
0138-27-5226
9:00〜18:00
15分
木曜日
300円

北緯 41゚45'47"/東経 140゚43'16"

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金森倉庫群の一角にあり、ぎょれんビルの向かいにあるのですが、バイクで走行しながらでは少々わかりにくいかもしれません。この周辺は徒歩で散策した方がイイでしょう。

高田屋嘉兵衛といえば兵庫県淡路島の出身で、そちらにある資料館は濃い内容の資料が揃っているのですが、函館の方といえばかなりイマイチという感じです。嘉兵衛に直接関係する資料がほとんどなく、なぜ高田屋嘉兵衛資料館なの??と思わざるを得ないものです。


資料館の外観
内部の様子

人物&歴史うぉっちんぐ
高田屋喜兵衛
1769年〜1827年(明和6年〜文政10年)

淡路島の五色で農家の長男として生まれるが、幼い頃から海に親しみ船乗りになることを夢見る少年だった。22歳の時、神戸の西出町にある廻船問屋に入ると、持ち前の才覚で出世し、わずか28歳で当時としては大型船であった1500石積みの辰悦丸を新造するまでになる。
その後、蝦夷地の箱館に拠点を置き、日本海廻りの廻船問屋を開業。事業は急速に発展し大成功を納めるが、当時交易の中心だった松前や江差より箱館の発展に多大な貢献をするほか、未開発であった択捉や国後への航路を開拓し、新しい漁場を開くなど、北方開拓の大貢献者となった。現在の函館や釧路は嘉兵衛がその祖を築いたといっても過言ではない。
また、当時ロシアと日本の関係はあまり良くなく、1811年(文化8年)に、千島海域を調査測量中のロシア艦船ディアナ号が国後島に立ち寄った際、不法侵入の罪で拿捕。艦長であるゴローニン少佐を抑留。これに激怒したロシア側は、国後島沖を航行中の嘉兵衛を拉致。いわゆるゴローニン事件が起きる。しかし、抑留中の嘉兵衛は両国の平和的和解と友好的国交を訴え、この熱意に信頼したロシア側は、ゴローニン釈放のために1813年(文化10年)嘉兵衛を調停役として釈放。帰国した嘉兵衛は幕府の説得を行いゴローニン釈放に成功する。
その後、1818年(文政元年)高田屋を弟にすべて譲り、生まれ故郷の淡路島に戻ると、港の築堤・修築などに貢献。59歳で亡くなるまで郷土に人力を尽くした。